(本記事は、2022年10月10日に作成されたものを一部編集し転載しております)
最終日に駆けつけた大応援団は、地元開催も手伝い「100人くらいは来てくださったんじゃないか」と話したが、現在、小林伸太郎を支えるスポンサーをオフィシャルサイトで確認したら、メインの栃木ミサワホームも含めて21社もあった。
その関連の方々を合わせると、実際はその倍近くの人数が会場にいたのではないか。
今やウェアやキャディバッグに数え切れないほどの企業ロゴのワッペンがくっつくが、まだ出場権すら獲れずにいた頃の小林に、最初に手をさしのべてくださったのが、関西に本社を置くチェーンの「焼き鳥まさや」だった。
最初、シードを獲るまでの約束だったが、16年の初シード後もロゴが帽子から取れることはなく、「小林まさや」と名前みたいに間違えて呼んでしまう人がいたくらいに定着。
結局、すぐ翌年にシード陥落した2017年から、コロナ禍の昨季、返り咲くまで契約は続き、名前が外れた今も、関西地域の大会には必ず社長が応援に来てくださるなど関係は良好だ。
「正直、プロゴルファーって、賞金ランキングだけで食べていくのは本当に大変。感謝してもしきれない」と、今でも足を向けられない。
今のご時世、一社つけるのにも苦労する選手も多い中で、かつて受けた恩義を忘れずにいるから、今ではサポートしてくださる会社が、引きも切らない。
「男子ツアーは地味だって言われますけど、じっくりお話をして、中身を知っていただくと、男子プロって意外と楽しいんだね、って。こんなに気さくに喋れるんだ、とか。意外と言っていただけたりするんです」と、小林は語る。
「こうして応援してくれる人がいる限り、プロゴルファーをやめようとか一度も思ったこともないです」と、言った。
開催週の火曜日に激励会を開いてくださった大会の地元、安中市の岩井均・市長とは、表彰式で再会。
会食時に、ぜひ最終日には安中市提供の優勝副賞「自性寺焼の花瓶」を、市長の手から受け取れるように、と話していた。
みごとに有限実行を果たした。
受賞時の岩井市長の祝辞は「今日のあんなか祭りに、ゲスト席をご用意しております」。
優勝会見やファン対応など儀式をひとしきり済ませて時計を見ると、地元での初Vを達成できたら必ず参加すると約束していた秋祭りの開始時間の17時が、もうすぐにも迫っていた。
「急がないと、遅れちゃう!」。
言ったことを律儀に守る人柄がまた、人々を惹きつける。